人の角煮の受難

Ordeals Of Hito No Kakuni

2023/05/11

アイドルになりたかった。

親に認められない自分を誰かに肯定してもらいたかった。キラキラしたステージの上で、汗を飛ばしながらパフォーマンスをするわたしを、誰でもいいから応援してほしかった。2015年、鳥居坂46(欅坂46)のオーディションが始まって、わたしは自分のリスカ痕だらけの左腕を抱きしめながら、ただ泣きじゃくることしかできなかった。こんな腕じゃオーディションに応募できない、そもそもこんな自分がオーディションに合格するわけがない、そんな事実がわたしから夢を奪い去っていった。選ばれるものと選ばれざるもの、その選別が理不尽に、けれど圧倒的に正しく、わたしの心を蹂躙した。

それでもやはりわたしは、上手く生きていけないことを、左腕の傷跡のせいにすることでなんとか自我を保っていた。これが綺麗になれば何もかもが好転する、そう思っていた。傷跡治療で有名な東京の病院を予約して、3時間ほどかけて病院に診察を受けに行った。この傷跡は一生消えない、レーザーでも上手く消すことは難しいでしょう。それが医者の答えだった。

絶望した。深く深く絶望した。絶望したままわたし、21歳になってしまった。今年でもう22歳だ。アイドルのオーディションも、もう応募できない歳になってしまった。わたしはきっと、自分のことを誰かに認めてもらうことで、自分の存在を赦してもらうことで、自分自身が自分のことを好きになりたかったんだと思う。アイドルという夢から遠のいた今、アイドルになりたかったかつての自分がとても輝かしいものに感じる。Twitterを始めたばかりで一人称をわたくしで統一していた頃の自分のことも、今は大切にできる気がしている。どれもこれも色あせてゆくけれど。あれだけ心を苦しめたり心のままに走ったあのときの思い出の鮮度も忘れて、そうやって人は人生をなんとなく生きていくのでしょう。前へ1歩踏み出すには、忘れることも必要だけれど、それでもわたしはあのときの激情を大事に大事に守っていきたいから、いつか忘れてしまうのならせめて、ここに書き記しておこうと思う。忘れ去られた自分も、今ここにいる自分も、この先の未来の自分も、きっと全部が本当の自分だから。